男女一対が基本とのことですが、地獄の入口にも奪衣婆と懸衣翁のコンビがいますね。遡ってしまいますが、ヒメ・ヒコ制度などとの関連はどうなんでしょうか。昔からのひとの意識には、そういった考えがあったのでしょうか? / 男女の生殖器崇拝というと子孫繁栄が目的であるように考えていたので、男女の仲が悪いという話には違和感を持ちました。
講義でお話しした事例は、折口や柳田の調査したものを参考にしていますので、どうしてもヒメ・ヒコ制、とくに男性は世俗政治、女性は宗教祭祀を担ったのだとする考え方に適合的になってしまいますね。現在の古代史研究においては、女性も世俗政治を担っていたことが判明していますし、男性のシャーマンが活躍していたことも明らかなので、そうした見方は否定されています。しかし、古代的心性もしくは思考様式において、男女一対がひとつの「安定の象徴」とみなされていたことは確かでしょう。中国思想が入ってくると、陰陽調和という概念で、さらに正当化が図られてゆくことになります。調和を保とうとする力の強さが、守護の力の強さに繋がってゆく。仲が悪い、仲の悪いことを利用するという発想も、前提に調和への考え方があるからです。余談になりますが、この「仲悪」は、嫉妬によるものと考えられることが多いのですね。とくに独りものの女神の場合は、この嫉妬の力が信仰に結びつく事例が多くあります。女性である山の神の祭祀には、男性は全裸で奉祀すると神が喜ぶとか、祭祀の間に女性が山へ入ると神が怒る、などといった言い伝え。あるいは、有名な宇治の橋姫の伝承も典型的でしょうか。物語には嫉妬による災厄が語られますが、だからこそ守護する力もつよいと考えられた。それをどうコントロールするかが、祈願のしどころ、祭祀のしどころである。神頼みの民俗には、そうした積極性、主体性もみることができますね。