前期旧石器時代は、中国における夏王朝のように、何かの伝説や古い書物で、それに関する記述はないのでしょうか。

中国は殷代より確実に分節文字が発展してゆき、記録が残りますが、日本列島の文字記録は5〜6世紀における漢字の伝来・消化を待たねばなりません。いわゆる口頭の伝承は存在したはずですが、その正確からいって、1万年前の伝承がそのままの形で伝わっているとは考えられません。人間の個人的記憶、共同体の集団的記憶は、互いに交渉しつつ、時代・社会の情況を受けて変容してゆきます。情報過多の現代では、数年前のことさえ明確に記憶されていない始末です。列島の神話である『古事記』『日本書紀』も、氏族や王権、宮廷が自らのポジションを説明するために蓄えていた政治的な物語を、国家的目的のためにさらに変容させ、中国的知識で編集や創作を行っていますので、どこまで遡りうる事実を反映しているのかは非常に難しい問題となります。しかし、今後の講義でも説明してゆきますが、信仰や宗教に関わる伝承のなかには、遺跡や遺物から想定される縄文〜古墳時代の文化と対応するものもみられます。短絡的に「事実が書かれている」と断言することはできませんが、復原の手がかりにはなりうるものです。