縄文時代では、食べる対象を信仰し、それを食べることでそれが持つパワーをもらい、あるいは本体である精霊を送り返すことで殺害を正当化していたとのことですが、そのように考える具体的な根拠にはどんなものがありますか。 / 文献など、文字を扱うものならば多くの文献から整合性をつきつめることができるだろうが、文献のない縄文時代の神話や土偶祭式論などは、真実をつきつめる歴史学なのだろうか。

縄文時代歴史学の範疇ではなく、考古学の対象とする時代です。とうぜん、歴史学とは方法論も蓋然性の追求の仕方も相違がありますので、その点注意が必要でしょう。例えば、縄文時代の社会や文化のあり方について、遺跡や遺物だけではどうしても推測することができない問題が生じてきます。そのようなときには、後世の文献資料が生じてくる時代と比較したり、あるいは同様の狩猟採集段階にある社会の文化、心性のあり方を参照し、比較しながら蓋然性の高い推測を見出してゆくわけです。「余白」が多いので、当然正確性には欠けますが、常に仮説を提示し、新たな発掘成果や学界での議論を通じ更新を図ってゆく、ということになります。なお、文字を扱う歴史学は考古学に比べて正確であるとの一般通念がありますが、それは必ずしも正しくありません。1990年代には、哲学に端を発した言語論的転回という運動のなかで、歴史学の方法論的正当性が大きく批判を受け、世界的に動揺したこともあります。講義の冒頭でも述べましたが、歴史学の研究成果も常に仮説であることを忘れてはなりません。なお、動物の主などの信仰については、動物土製品や土器などから判明するアニミズム、動物の骨を儀礼的に埋葬した遺構などが、現代における狩猟採集社会の動物の主神話に通じることから、類似のメンタリティーが存在したのではないかと推測されているわけです。