縄文時代のどのあたりから、自然に依存する考えが変わり始めたのでしょうか。 / どうして怖ろしい存在だった人骨が、聖なるものへ変化したのでしょうか? / 縄文時代まで祖先信仰が生まれなかったのはなぜでしょうか?

やはり、後期・晩期あたりから始まる寒冷化が、大きな原因のひとつだったでしょう。それまで自然環境へ依存している情況で充分な生活を得られていたものが、ある程度の働きかけを行わなければそれまでの人口規模を維持できない状態になってゆく。そのあたりに、心理的な乖離の第一段階があるように思います。また、そうした環境への働きかけは、原始農耕などに具体化してゆくと考えられますが、文化の複雑化は、後世へ伝えられてゆくべき知識・技術の増加を意味します。そうした「伝承」は、恐らく過去への意識、過去を生きてきた人々への尊敬を育んでいったと考えられます(また、この変化は定住生活が前提ですので、縄文より前には希薄であったと思われます)。また、大規模集落が解体しまた集合するときに、それぞれのグループが持っていた人骨を一つにまとめ、統一のシンボルにしたらしい再葬墓が見つかっています。そうした種々の要因が絡まりあって、自然との断絶、骨の神聖化、祖先の誕生を生じていったものと思われます。