施朱についてですが、骨を土葬にして腐らせた後にしたのか、それとも火葬にしたのでしょうか。 / 施朱の赤色は、何をもとに作ったのですか。

縄文時代の施朱は、骨にしてから散布したのではなく、死体を埋葬する際に直接行ったようです。確かに縄文時代にも再葬はあるのですが、一度解散した集落が再び集まる際にどうも骨を結合のよりどころにしたようで、埋葬して骨になったものを保持していた形跡があります。あるい特殊なケースとして、中世以降の洗骨に類似する事例をみることができます(一度埋葬した遺体を3年程経ってから掘り出し、丁寧に洗って再び埋葬する)。これは巫女など特殊な役割を持った人物の葬送か、もしくはやはり祖先信仰に基づく一部の骨の神聖化が進んだものと思われます。なお、施朱に用いる赤色顔料には、主に2つの種類があります。ひとつは酸化鉄系のベンガラ(弁柄)で、いわゆる朱を指します。インドのベンガル地方の原産なのでこう呼称されるようです。もうひとつは硫化水銀系の辰砂、いわゆる丹です。こちらは中国の辰州原産なので、「辰砂」と呼ばれています。