殺された「女神」ではありませんが、例えばギリシャ神話におけるアドニスのように、死んで花や木になるというエピソードは多く残ります。これらは「殺された女神」のヴァリエーションと考えていいものでしょうか?

ギリシア神話と日本神話を比較する場合、実は神話としてのステージがまるで違うので、充分に注意する必要があります。現在我々の知るギリシア神話は、多く叙事詩や演劇など文芸化したものであり、一方日本神話とされるものは、『古事記』『日本書紀』など国家によって編成・編纂されたものです。どちらも、古代社会に共同体を律する力を持っていた「生きた神話」ではありません。よってその内容や文脈を比較する際にも、それがもともとの神話にも存在した形式なのか、あるいは国家によって政治的に付与されたのか、観客を意識して娯楽的な意図で創作されたものなのかを、充分に検討しなければなりません。そのうえでアドニスの神話などをみると、かなり錯綜したロマンチックな筋立てが組み上げられているようですが、「死体化生」というモチーフは「殺された女神」と共通していそうです。すなわち、神の死体から植物や動物が生まれてくるという発想です。ただしアドニスアネモネなどは、純粋に美や悲劇の追求かとも推測され、ハイヌヴェレのように栽培穀物の起源、生活や生業に直結したものとは異なるようです。