天平期の流行について、新羅側ではどのような認識を持っていたのでしょう。新羅には流行に関する記録は残っていないのでしょうか。

三国史記』などの記述は極めて簡略なので、新羅社会がどのような情況だったのかは分かりません。ただ、聖徳王の治世下には飢饉や地震など天変地異が相次いだとの記録があり、王自身も治世36年(737年=天平9年)の2月に亡くなっています。天然痘の流行と関わりがあるのかもしれません。