〈夷病〉などという概念が生じたとき、当時の渡来人たちが虐殺の対象になるといったことはなかったのでしょうか。

記録としては残っていません。恐らく民間レベルでは、近代ほど渡来系の人々に対する忌避感は強くなかったのではないかと思います。何世代にも通じて波状的に列島に定着していますので、とくに近畿や西日本は半島との繋がりが深いですし、東国でも、百済滅亡以降多くの渡来系の人々が移住させられましたが、いずれも対立や衝突があったという記録は残っていません。ただし、例えば学術的には主に新羅由来とされる秦氏などが、自分を新羅系とは記さず、平安以降は半島を越えて統一秦の出身だといいはじめることは、単に自氏族の神話を拡充して競合氏族に対し優位に立とうとしているだけではなく、新羅に対する敵国意識を敏感に察知しているためかもしれません。