聖武天皇には障害があったのではないか、との説を以前に読んだことがあります。業病に先天的障害が含まれることはありましたか。
残念なことですが、確かに「不具」(現在は差別語です)が業病と同じ枠組みで語られることもありました。前世で悪業をなしたために、「満足な身体」では生まれてこなかったということですね。さらに注意をしたいのは、本来仏教では個々の生命の行為の報いはそのまま個々の生命に返ってくる、と考えますが、東アジア化した仏教では、「親の因果が子に報い…」と、因果応報が家制度のなかで考えられるようになってゆくことです。しかしこれは見方を変えると、「個人としての罪の重さ」(という社会的ストレス)に耐えられなくなった人々が、生み出さざるをえなかった言説なのかもしれません。なおなお一方で、こうした障がい者を神聖視する見方も存在しました。神聖視のなかには「疎外」の感覚が含まれることにも注意が必要ですが、例えば『日本霊異記』下巻19話には、障がいを持って生まれた女性が聡明な才能を示して出家し、「猿聖」と蔑まれながらも奈良の高僧を論破し、みなに尊敬されるという物語が収められています。