「日蝕が必ず起きる」とされているのはなぜですか。

これも説明の仕方が悪かったかもしれませんが、当時日蝕陰陽寮所属の暦博士暦法を使って予報を出し、毎年正月に天皇へ報告していたのです。中国では太陽は皇帝の象徴であり、日本でも皇祖神アマテラスが太陽の象徴であるように、王権と密接に結びついた存在でした。よって太陽が欠けるという事態は災異の最たるもので、非常に恐れられたのです。しかし、当時は暦法自体が不正確でしたので、予報が外れることも多くありました。『日本書紀』掲載の日蝕記事を現代天文学で検証すると、予報の的中率は2〜3割程度です。『続日本紀』からは、桓武天皇の方針にとって外れた日蝕記事が除かれていますので、どの程度的中したかは分かりません。しかし、『日本書紀』の記事は概ね8世紀に書かれたものと考えられますので、2〜3割と考えて大過ないでしょう。