当時東国では天然痘の被害が少なかったようですが、被害地域へ食料などを運搬するといったことは行われなかったのでしょうか。

記録には残っていませんが、考えられる対応ではあります。授業で説明しましたとおり、天平10年には諸道に巡察使が派遣され、翌年には郡司層の不正を追及するような措置が頻出します。天然痘の被害が大きく、賑給の相次いだ時期ゆえに不正の入り込む余地も多かったものと思いますが、救済措置として諸国の正税等を動かしたために、やはり不正が入り込んだ可能性もあります。