古代の建造物を再現したものは、その建材そのままといったものが多いように思うが、着色などをした痕跡は残っていないのだろうか。

残念ながら、中国式の宮殿建築、寺院建築などが伝わる以前の列島の建物は、あまり派手な祭式の痕跡は認められません。縄文時代にも、一部に呪術的な文様を用いることはあったと思いますが、全体を彩色することはなかったであろうと思います(しかし、縄文時代にどの程度の顔料が輸入あるいは開発され、いかなる用途に用いられたのかは、史料の残存度からして非常に難しい問題ではあります)。歴史時代の神社建築には、古墳時代の建築様式が一部採り入れられていますが、最も古い形式のものは、やはり素木で造られています。現在の神社にも、柱を朱で塗ったり壁を白壁にしたりするものがありますが、あれはもともとは中国の宮殿の様式で、それが日本の宮殿、寺院などにも採り入れられ、それらを介して神社に入ってくるわけです。ただし、唐古・鍵遺跡の土器絵画に描かれた楼閣は、屋根などに装飾が施された中国的な姿をしており、実際に存在したとすれば何らかの彩色が施された可能性はあると思います。