内薬司で天皇への処方のため薬を試みる際、死亡例などはあったのでしょうか。有能な人材をそうしたことで失ってしまうのは、効率的ではないのではありませんか。

記録上はよく分かりません。しかし、自分の生命においても、天皇の生命の問題からしても、御薬の調合と供進は緊張を強いる作業であったようです。平安時代になると、調合された薬が寺院で加持を受けたり、あるいは医師の家においても、調合に際して陰陽道に属する禁忌を守り吉日を選んだり、合薬終了後は仏前に置き神仏の加護を祈願するなどの行為がなされたようです。