平城京の薬園には、輸入された種や苗も植えられていたのでしょうか。いま、漢方薬の本をみると、同種植物でも、日本のもの、中国のものが別の薬剤とされています。

実は、詳しいことはよく分からないのですが、輸入のものは薬種として入ってくるより、調合された薬剤として入ってくる方が多かったようです(環境の相違から栽培できないものも多かったと考えられます)。唐、新羅渤海との通交のなかで、多くの香薬がもたらされ、取引されており、御物となったもの以外は典薬寮にも納められました。貴族のなかには、自己の薬園を持つ者、自ら山野で採取を行う者などがいて、やはり商売によって舶来の薬剤を入手した者もあったようです。