古代では鳥や鹿や自然を一種の発想の転換によって神聖視していたが、現代日本ではどうしてそのような考え方がなくなってしまったのだろうか。

確かに薄らいではいるのですが、社会的な調査によると、自然環境や自然現象に神聖性を感じるかどうかという点では、いわゆる「先進国」と呼ばれる国々のなかで、日本は突出として高く、アニミズム的雰囲気が残っている社会・文化と捉えられています。日本では、生業に占める稲作農耕の割合が極めて高く、山がちな地形が多いにもかかわらず狩猟採集の役割が低下したので、後者が前者に従属する形がずいぶん長く続きました。そのなかで、狩猟も害獣を駆逐することで豊かな稔りを育む、農耕予祝的な意味合いが強くなってゆきます。こうした要素は現在でも持続し、例えば諏訪大社などの狩猟神事にみることができます。また、農害をなすとして大量の鹿を「駆除」しながら、鹿島神宮春日大社ではこれを神使として敬い、都会の烏に気味悪さや苛立ちを感じながらも、神武天皇を導いたという三足のヤタガラスをサッカー日本代表チームのシンボルに据えている。両義性の文化は根強く残っていますね。