天平9年の時点で、氷を食べることは一般的だったのでしょうか。また、生肉を食べる習慣はあったのでしょうか。

氷に関しては、律令官司に主水司があり、氷の採取と氷室における保管、宮廷への運搬を監督していました。奈良時代の段階でも貴族たちが氷を食べることはあり、長屋王家木簡には、都祁の氷室から氷の運ばれてきたことが分かる記事があります。平安時代になると、物語や日記の類に、いまでいうかき氷のような食べ方や、飯に入れて冷やして食べる食べ方などが散見されます。しかしいずれも、夏期に一般庶民の口に入るものではないので、太政官符の記載のこの部分は、あまり現実的ではなかったといえるでしょう。生肉については、貴族層からは次第に肉食自体が排除されてゆく傾向にありましたが、列島社会全般では未だ狩猟文化が厳然と存在しており、風習として存在した可能性があります。消化しにくいことから禁止されているのでしょうが、やはり天然痘が業病である点からすると、殺生禁断との関連で考えるべき問題なのかもしれません。