『病草紙』からは、感染予防への意識の低さが窺えました。当時の感染症に対する認識はどのようなものだったのでしょうか。 / 下痢がひたすら登場していたが、当時のトイレ事情はどうだったのだろうか。

ウィルスの概念はありませんので、衛生意識に対応するものがあるとすれば、ケガレの感覚・観念のみです。藤原京平城京では、貴族の邸宅には水洗トイレがありましたが、その水は浄化されることなく京内の水路へ連結してゆきます。側溝からは、人馬の死体や土器・木製品、呪術の道具まで、さまざまなごみ・汚物がみつかっています。一般庶民は、そのまま水路に排泄したり、路上に排泄をすることもあったと考えられますので、衛生的にはかなり問題があったでしょう。右京地域などはもともと湿地帯であり、疫病も蔓延しやすかったので、多く同所に居を構えていた下級官人層には病者が続出したようです。