漢籍と民間医療との交流があまり行われなかったとのことですが、例えば貴族とその使用人との間で、治療をめぐる相互評価など行われなかったのでしょうか。

授業の冒頭で紹介した紀夏井菅原道真のように、民間と交流し民俗医療を研究、医術に採り入れようとした試みもあったと思われます。そもそも太政官符の処置自体、民間療法や実地の臨床経験がもとになっている。とすれば、緊急の現場においては、可能な限りの方法が試されたのだと推測できます。しかし、当時の価値観ではそれらは「低級」なものでしたので、一般常識としては漢籍に書かれていることが優先され、民俗医療、民間医療に頼るのは貧しい民衆のすべきこと、または緊急時にやむをえずすべきこととされていたのでしょう。