典薬寮の勘申には中国医書からの引用が多いとのことでしたが、例えば22ページ8行目の「梅」などは、日本になじみ深いのになぜ引用されていないのでしょうか。

難しいですねえ。このあたり、まだ議論が続いていて正確に分からないことが多いのですが、未だこの天平期の段階では、梅を食すことが一般的ではなかったのかもしれません。梅は中国から輸入されたもので、一般的には漢方薬の烏梅が、樹木としての梅よりも先に将来されたといわれています。古代の文献で梅が出る初見は『懐風藻』の葛野王漢詩で、あとは『万葉集』の天平期に詠まれた歌に集中的に出てきます。しかしそれらは、六朝期の中国の漢詩の影響を受けて読まれたもので、未だ本当の梅花が広く存在したわけではなかったようです。とりあえずは、未だ「なじみ深い」食材ではなかったのだ、としておきましょう。