医術とは関係ないのですが、中国では髪は生気の発露とされた、その認識はいつ日本へ伝わってくるのでしょう。日本史概説で乙巳の変のビデオをみたとき、蘇我入鹿の髪がざんばらでしたが、あれはどのような意味があったのでしょうか。

実は、日本の史料には明確に出て来ないのですが、律令体制成立時の風俗矯正で、男女を問わず結髪が文明の証として推奨されてゆきます。髷は平安時代は他者にみせてはならないものとして隠され、中世にはやはり生命を象徴するものとなってゆきます。『後三年合戦絵』や『福富草紙』などの絵巻には、男が取り押さえられる際に、しっかり髷を捕まれている絵像が描かれており、それが相手の生命を束縛することの象徴的行為になっていたようです。ゆえに髷を切る行為が、俗世における象徴的な死を意味するようになるわけです。