新聞もない時代に、どうやって他国の情報を手に入れるのでしょう。

邪馬台国が中国の情況を知りえたのは、やはり渡来人を通じてでしょう。彼らを介して公孫淵と交渉していれば、恐らくはかなり歪曲した情報でしょうが、三国の動きも掴めていたはずです。また、東シナ海においては、もちろん航海技術による抑制はあったものの、江南地域から列島へ移住してくる人々も存在したと考えられます。相当なタイムラグはあるでしょうが、他国の情報を入手する方法は皆無ではなかったのです。