魏は邪馬台国に援軍を出す国力がなかったというわけではないのですか。また、狗奴国が呉と結んで邪馬台国と対抗するような大きな国なら、何かの痕跡が残っていてもおかしくはないのでは? / 蜀と関係を持った国はないのでしょうか?

確かに、海を越えての派遣ということは、躊躇されたでしょう。国力の有無はともかく、重要な交渉相手だけれども、実際に軍を派遣するかどうかは別の問題…という政治判断はあったはずです。何しろ、中国の軍隊が日本海を渡るというのは未曾有のことですから。未だ呉を併呑していない段階において、大きなリスクは冒せなかったはずです。狗奴国の痕跡ですが、『魏書』に記録がある時点で大きな痕跡です。あとはその場所をどこに比定するかであって、邪馬台国がヤマトなら確かに東海という説もありえます。その場合、三遠式銅鐸を生産・配付していた政治集団が狗奴国ということにもなり、「痕跡がある」ことになるわけです。また蜀との関係については、蜀は海に面していないので、列島と直接に交渉することはなかったと考えられます。