道教では女性は陰の存在であって、むしろ仙人にとってよくないものではなかったか。女性的な性のシンボルであるとしての桃は、どのように辟邪の象徴、神仙思想の象徴になってゆくのですか。 / 桃の神仙思想との関係は、桃太郎とも関係がありますか。 / 桃は、中国から道教とともに伝わってくるのでしょうか。 / もし卑弥呼が道教を受け容れていたとしたら、それは中国から伝わったのでしょうか。あるいは朝鮮を経由したのでしょうか。

陰陽五行説においては、陰は必ずしも「よくないもの」ではありません。調和した状態がよいのであって、例えば陽気があまりに強くなり陰気が衰えれば、やはり旱魃などが起こりよくない事態となります。桃は、陰陽五行説が成立する中国の戦国時代から、辟邪の機能を持つものと位置づけられたことが、『礼記』などの伝世文献、出土した秦・楚の竹簡などから判明しています。やはり女性の生命力をシンボル化したもので、不老不死のユートピアを象徴するものとなり、神仙世界は桃源境、桃花源とも呼ばれるようになります。道教は、この神仙思想を核に体系化が進んだものですが、卑弥呼の段階で伝わったものが神仙思想なのか、道教なのかは分かりません。あるいは『魏書』の編纂者が、卑弥呼の宗教の記録から、道教に似たものを想像しただけかもしれません。ただし中国の銅鏡は神仙思想に基づいてデザインされていますので、それがいかなるものかが説明されていたなら、その時点で神仙思想は伝来していたことになります。前方後円墳が、それに基づいてデザインされた可能性も捨てきれません。桃を用いた祭祀が、それらとセットになって将来された可能性も大きいと思います。