応神天皇らに治水ができたということは、その頃には他の豪族の掌握がある程度完了していたということでしょうか。

授業でもお話ししましたが、『古事記』や『日本書紀』の応神・仁徳に治水記事が集中しているのは、彼らが実際に治水工事を行ったのではなく、彼らを聖帝と位置づけるための史書の作為に過ぎません。ただし、前方後円墳の築造が示すように、古墳時代ヤマト王権は、全国規模の開発工事が可能な状態に至っていたと考えられます。