中国の墳墓から、かつて古代王朝の大臣の妻のミイラが、非常によい状態でみつかったと聞いています。奥州藤原氏の三代もミイラになっていますが、日本の古墳からミイラがみつかったという事実はあるのでしょうか。

馬王堆漢墓のことですね。前漢初期の長沙国丞相・利蒼の妻の辛追が、ミイラとなって発見されました。残念ながら、日本の古墳では未だこのような事例はみつかっていません(あとは即身仏でしょうか)。しかし、『宇治拾遺物語』巻6-2「世尊寺に死人を掘り出す事」という説話には、興味深い記述が残っています。それによると、藤原伊尹が天禄2年(971)に世尊寺に住んだ折、もともとあった塚を崩して堂を建てようとしたところ、石棺が出土した。中を開いてみると、金の杯などの宝物に囲まれた美しい尼が葬られていたが、一陣の風が吹くと塵となって吹き飛んでしまった、とのこと。恐らく、実際に古墳を掘り崩した経験に基づくものでしょう。密閉された空間で保存されていたものが、外気に触れて急速に酸化し傷んでしまうという事態は、発掘現場では往々にして起こります。上記の辛追のミイラも、棺のなかで透明な液体に浸っていたようですが、この液体は急速に土気色に変色したようです。弥生時代の最初に、弥生時代人の脳が発掘されたとお話しした青谷上寺地遺跡でも、弥生時代の遺跡からいまだ緑色を保った瑞々しい葉や、昆虫の羽が出土し、担当者の方がみつめるなか、みるみる色褪せていったとの話を伺いました。