藤原氏の「切実だった」という思いからすると、やはりみな疫鬼の存在を信じていたのでしょうか。 / 授業の初回の方で、天然痘が新羅からやって来たという認識の話がありましたが、長屋王の怨霊だと認識したことと、時間的先後関係をどう整理すればいいでしょうか。

これからの授業で扱いますので、少し先走って書いてしまうことになりますが、実は南北朝末期の中国では、疫病をもたらす鬼霊は非業の死を遂げたものの霊だとみなされていたのです。すなわち、六朝の文献を読んで中国化を進めていた支配層ほど、天然痘と鬼霊、長屋王を結び付ける確率が高かったものと思われます。事実認識も含めて、天然痘新羅からやっていたという一般通念があったことは確かですが、宮廷社会の一隅で、どうやら上記のような認識が芽生えていたようなのです。