長屋王の場合と同じように、菅原道真が左遷された後も宮中に死者が出たとの話がありましたが、それも実は疫病関係なのでしょうか。

菅原道真の場合は、前後の情況から考えると、より精神的なものが大きかったかもしれません。いわゆる怨霊信仰、御霊信仰は、長岡遷都と藤原種継暗殺に関わる早良親王の自害によって、宮廷社会で急激に発達します。その「緊張感」は、奈良時代の比ではなかったでしょう。幾つかの偶然が重なったうえに、道真の怨霊の存在が極めてリアルに認識されるようになり、あらゆる不幸がそれに結び付けられていったものと考えられます。