鳥が他界への水先案内人になったとありますが、どうして鳥なのでしょうか。当時の人々にとって、鳥は空へ飛んでゆき、どこへ行くのか分からなかったからでしょうか。また、弥生時代までの、大地を象徴する鹿や天空を象徴する鳥のイメージは、どこへ行ってしまったのでしょうか。

むしろ、鳥が稲を実らせるエネルギー=稲魂を運んでくるという信仰があったからこそ、死者を導く鳥、死者の魂を運ぶ鳥というイメージが定着していったのだと考えられます。興味深いことに、古墳の周囲からも、弥生時代に環濠集落の縁辺から出土していた鳥形木製品によく似たものがみつかっているのです。かつて神聖なものを祀っていた形式が、そのまま新しい時代の祭祀へ採り入れられているわけです。アニミズムの大きな枠組みで捉えれば、稲魂も人間の魂も、同じものだといえるかもしれません。なお、鹿のイメージがその後も残存していったことは、弥生時代の授業で紹介した『風土記』の伝承や、現在でも春日大社鹿島神宮の神使として鹿が尊ばれている様子から推測できます。単に「支配的な力を失った」というだけで、消滅してしまったわけではない。この点も、上記と同じで、ファッションの移り変わりに似ていますかね。