『肘後備急方』の引用部に関して、石を水に投げたあと後ろを振り返ってはいけないというのは、例えばお盆に、迎え盆や送り盆で後ろを振り返ってはいけないということ、オルフェウス神話の禁忌などと同じ意味があるのでしょうか。
そうですね、いわゆる「みるなの禁」に関わる問題です。人間にとって「みる」という行為は、あるものとあるものとを完全に分節してしまう行為、境界線を設定する行為の象徴ともいえます。ゆえに、現実の世界と他界、生者の世界と死者の世界の境界が曖昧になっている領域を「みて」しまうと、その繋がりが断たれてしまうことになる。死者の世界から帰還しつつあったイザナミやエウリュディケーは、再び死者の世界へ引き戻され、人間に化して報恩の営みをなしていた鶴なども、動物の世界へ帰還することを余儀なくされる。お盆の迎え/送りの場合は、死者が他界へ帰ってしまうこと、生者が死者の世界へ引き込まれてしまうことを防ごうとするもの。『備急方』の場合も、他界でなされる呪術の発動に生者が影響を与えること、あるいは逆に生者がその影響を受けることを、抑止する意味があるのだと思われます。