食唐鬼木簡が、長屋王の怨念を前提にしているという根拠が、いまひとつ希薄な気がしました。そもそも、この木簡が天然痘流行を念頭に置いていたということが、内容からはあまり窺えない気がします。

そうですね、食唐鬼木簡が天然流行時に用いられたという推測は、まず二条大路側溝の出土場所から、その廃棄元が皇后宮もしくは藤原麻呂邸と考えられること、廃棄の時期が天平7〜9年と考えられることなどに基づいています。また呪符の用途が治病であり、形式的には天然痘の症状のひとつである瘧、あるいは中国からやってきた病へ対処するものと想定されることも、参照されてよいでしょう。そしてそもそも、それら病をもたらす鬼霊は、中国的文脈では非業の死者を指すものだった。長屋王の怨念云々については、それらの積み重ねのうえに導き出される、あくまで可能性の問題です。