「名前を知る」ということによってコントロールを試みるというお話が、『千と千尋の神隠し』にも似ていると思いました。このような考え方は、どこから発生したものなのでしょうか?
「名は体を表す」という諺がありますが、ラベルとしての名称がその存在の本質と密接に結びついているという発想は、いわゆる原始社会からみられるようです。呪術の系統でいえば、類感呪術の一種と位置づけられるでしょう。これは、類似したものどうしは互いに影響しあうという発想に基づくもので、例えば、人形に穢れを移して川などに流す祓えなどが、代表的な事例です。言葉は実存在の本質と結びついている、いわばその形代ともいうべきものなので、言葉を用いてその実存在自体をコントロールできると考えるわけです。とくに、言葉自体に対するアニミズムが強い文化では、こうした言葉の呪術は顕著ですね(日本は「言霊」信仰がありますしね)。祭文にしても、祝詞にしても、根っこは同じです。