先日のNHK『歴史秘話ヒストリア』で、持統が跪伏礼から立礼へ変更を行ったと放送されていましたが、聖徳太子の頃に変わったのですか。 / 中国清朝では、三跪九叩頭の礼をさせていましたが、これは日本文化が逆輸入されたものなのでしょうか。
『ヒストリア』は何でもかんでも持統にしてしまっていましたは、正確には匍匐礼・跪礼が立礼に改められるのは天武朝です。また、その際に「難波朝庭の立礼に更たむ」と出てきますので、孝徳朝の改新政治の折には、一度実行されていたものと考えられます。そもそも、匍匐礼・跪礼は邪馬台国の頃から確認できる習俗ですが、推古朝では、これを宮門をくぐるときのみ限定的に行うようにし、ほかのときには立礼を実践するよう採用したようです。