古韓音はなぜ残ったのでしょうか。

古韓音は、具体的には、ガ(奇・宜)、キ甲(支)、ケ乙(挙・希・居)、ソ甲(巷・嗽)・タ(侈)・チ(至)・ヌ(蕤)・ヘ甲(俾)・マ(明)・ヤ(移)・ヨ乙(已)・ロ乙(里)などの音です。渡来人の関与したとみられる推古朝遺文や、『書紀』のなかでも多く朝鮮系記事のなかにみられ、朝鮮半島からの渡来人が伝えた可能性が高いと思われます。ところで、話し言葉の音韻は、それを継承する人物が置かれた環境によって著しく変化します。Aという地域の音韻を持つ人物が、独りでBという地域に暮らしていれば、やがて音韻はB→Aと変化してしまいます。このことを前提にすると、古韓音を伝えた人々は、一定の集団を持ち、他の集団とあまり関わらないなかで生活してきたのだと想定可能でしょう。『三国志』魏書/烏丸鮮卑東夷伝第30/東夷/韓条には、後に新羅となる辰韓について、「辰韓は、馬韓の東方にある。その地の老人たちは、代々自ら語り伝えて、『昔、秦王朝の時代に、その労役を避けて韓国に逃げてきた者がいて、馬韓は東部の地域を分割して与えた』といっている。 この地には城柵がある。用いている言語は馬韓と同じではなく、(例えば)国のことを邦といい、弓を弧といい、賊を寇といい、行酒を行觴といっている。お互いを呼び合うには徒という。これらは、秦人の言葉遣いに似ている点がある。ただ、燕や斉のものの名称が伝わっただけではないのである」との記事を載せています。すなわち、中国系の訛を持つ人々が辰韓に暮らしていたとのことで、古韓音を考える有力な手がかりです。