飛鳥〜奈良時代は、他の時代と比べて女帝が多いと思います。何か理由があるのでしょうか。
以前は女帝の問題をきちんと扱っていたのですが、平安時代までゆくために割愛してしまいました。指摘のとおりで、7〜8世紀は女帝が集中しています。かつては、本命の男性天皇が即位するまでの「中継ぎ」論が一般的でしたが、推古朝は蘇我馬子らによる中国化政策、皇極〜斉明朝は改新政策の推進と倭京の整備、持統朝は律令国家の建設、元明・元正朝はその推進と平城京遷都と、彼女たちの代にかなり抜本的な改革が行われています。7世紀と8世紀、より細かくはそれぞれの代において即位の事情が異なりますので、一概に「女帝とは…」と定義づけることはできませんが、彼女たちが単なる「お飾り」でなかったことは確実でしょう。恐らく、7世紀は女帝というより大王の后妃としての地位が重要視され、先王の遺業を整備する役割が期待されたのでしょう。8世紀は草壁皇統が意識されますので、それを遵守するために、系譜的に適合し、また両親や兄弟に天皇を持つ女性が即位した、といったところが実状でしょう。しかしまた、同時期に唐の則天武后、新羅の善徳女王、真徳女王など、隣接する東アジア地域で同じように女帝が輩出していたことにも注意が必要です。「天皇」号などと同様、東アジア的風潮についても一考の余地ありです。