先生は、NHKの『ヒストリア』について、「個人の感想で歴史をみても仕方ない」と仰っていましたが、私も「確かにそうだ」と考え方が変わりました。私は世界史選択なので、歴史も長く地域も広く、「個人の気持ち」などあまり考えてきませんでした。しかし日本史には、「深く狭く、人物に照明を当てすぎ」おとの偏見があったのです。

「個人の感想で歴史をみても仕方ない」という発言をしましたっけ。記憶にないのですが、誤解を与えるような説明をしたのでしょうね。『ヒストリア』に関して批判したのは、『日本書紀』の記述とそれから考察される「史実」、里中満智子さんのマンガとが、ごっちゃになって提示されていたこと。最終的に、「夫婦愛」で片付けられてしまうことなどです。後者の方では、そんな個人の感想のような落ちがあるか…と話をしたかもしれません。しかしそれは、歴史を描く私たちが、個人レベルの感想のような描き方をして意味があるのか?ということで、「個人の歴史を描くのは意味がない」ということではありません。むしろぼくは、「個人の歴史」大賛成論者です。世界史/日本史の区別に触れていましたが、実は研究の世界では、世界史の方(すなわちアナールなど)が、個人の歴史を描く方法に長けています。ひとりの一般民衆の世界観に注目した『チーズとうじ虫』など、ミクロストーリアと呼ばれる分野もあります。社会や天下国家を論じるものは、多くのものを捨象したり、取りこぼしたりしてしまいがちなので、個人を丁寧に追いかけてゆくことの意義は非常に大きいと思っています。