「蛮族」を従わせている構図を作るのは、中国皇帝に示すためだったのですね。日本国内を支配している方が、やはりイメージがよかったのでしょうか。

中国的な皇帝は、四方に北狄・東夷・南蛮・西戎の異民族を抱え、これを徳治によって文明化してゆく建前を持っていました。いいかえれば、蛮族を従えている者こそが皇帝だったのです。倭は、中国や朝鮮諸国に対してそうした建前を作り出すため、蝦夷や隼人といわれる人々の「異文化性」「未開性」をあえて協調し、大王→天皇のあり方を正当化するツールとして用いようとしたのです。