東北の蝦夷経略について、7世紀は日本海側、8世紀は太平洋側と習いました。斉明天皇の頃に、もう太平洋側への進出がなされていたのでしょうか。

例えば、仙台市の郡山遺跡穵期官衙施設です。時代としては7世紀半ばから末年の施設で、すなわち阿倍比羅夫の東北経略とほぼ同時期ということになります。規模的には律令制下の郡衙に近いものですが、後の陸奥国府の前身のようなもので、当時のヤマト王権による東北経営の拠点であったとみられています。まだはっきりしたことは分かりませんが、考古学的発掘によって、これまでの見解が修正されつつある事例のひとつです。