天皇の諡などに正統性・正当性を込めるのは、誰に対して行っているのでしょうか。文字の読めない民衆に対してなら、意味がないと思うのですが。

国風諡号はヤマト言葉で作られているので、もともとの発想としては、必ずしも文字を伴う必要はなかったと思われます(その根源は諱であるか、あるいは宮号など公的な場で用いる号であったのでしょう)。一般民衆が神の名を呼ぶように、恐れ憚りつつ口にする呼び名でしょう。漢風諡号は、文字も根拠となる思想も中国的ですので、東アジア世界において威儀を整えるために設定したと思われます。しかし、弥生時代から何度もお話ししているように、これらも情報としての威信財の表現形態です。外的価値として導入されたものですが、権威を発揮するための道具立て(すなわち中国文明を身に付け標榜する存在)として、列島社会内部においても意味のあるものなのです。