天皇の神格化が何度も出てきたが、「神」として民衆に浸透するためには、神話だけではなく「奇跡」も必要だったのではないかと思う。

奇跡というのならば、藤原京などが完成すること自体が奇跡です。また、多くの奇跡が「伝聞」によって形成されるように、伝説や神話の類も奇跡を構成しうるのです。天皇の権威を受けて行われる神殺しなどは、まさにその類のものでしょう。また『日本書紀』をみると、例えば旱魃のとき、蘇我蝦夷が仏教的祈雨儀礼を行うもののほとんど降らなかった雨が、皇極天皇四方拝実修によって本格的に降り出したといった逸話が散見します。奇跡は実感されていたとすべきでしょう。