木が語るのではなくて木に宿る精霊が語るのだというのは仏教的考えの表れ、とのことですが、これが道教の考えを示すとすると、また何か変わってくるのでしょうか。

仏教では、「主託神」という概念になります。アニミズムの本当に原始的な形では、動物そのもの、植物そのものを神と捉える段階があると思うのですが、それから少し展開すると、動物は人間と同じ姿をした精霊が毛皮を被っているもの、樹木はやはり人間と同じ姿をした神霊が住居にしているもの、と認識する形態になってゆきます。『抱朴子』の記述は仏教の影響を受けていない可能性が高いので、自発的な展開の結果だとみなせるでしょう。少数民族のなかには、樹木から生まれたという始祖伝承を持つ部族もあります。国文学者の三浦佑之さんなどは、古代に人間のことをヒトクサと呼ぶことから、日本列島でも樹木トーテムのような信仰があったのではないかと想定しています。『抱朴子』の記述はどこに結びつくのか、恐らく先行研究のないところなので、今後調べてゆきたいです。