天然痘のウィルスは、もともと日本にあったのでしょうか。それとも、外国から入ってきたのですか。
日本の文献で流行が確認できる初見は、『日本書紀』欽明紀の崇仏論争記事です。しかしこの記載は、中国の史書などに依拠して創り上げられた「虚構」である可能性が高いので、実質的なパンデミックは天平7・9年に起きたものが最初でしょう。藤原四子はもちろん、庶民でもどのような人々が亡くなっているか分かる史料があるのですが、50〜60代の壮年者にも及んでいることを確認できます。一度罹患すると免疫ができる病気であることを考慮すると、少なくとも60年前後の間は大流行が起きていない、だからこそこのときに大量の病死者を出したということです。流行は大宰府から始まったのですが、遣唐使や遣新羅使の帰国が契機となっています。天平9年に帰還した遣新羅使などは、大使阿倍継麻呂は帰還途中に対馬で死去、副使大伴三中も病のため京へ入れないという状態でした。以降、天然痘は新羅からやってくる〈夷病〉である、との認識が長く続くことになります。