天然痘の流行によって官僚の多くが死んだということだが、それにしては政治の混乱があまり話題になっていないように思う。それは代わりの人がいくらでもいたということだろうか。

教科書が扱わないだけで、混乱は起きていました。地方にしても中央にしても、国家を運営する実務を担当した官僚たちに多く死者が出たものとみられ、文書行政においては不可欠の帳簿類がなかなか作成されず、あるいは期日を過ぎても都へ送られてこなかったり、国家の方向性を決める最重要の機密文書(祥瑞奏文・天文密奏など)が書かれなかったりしたことが分かっています。『続日本紀』の天平9年の条文をみてみると、従五位下以上の京官の約4割弱が半年のうちに死亡しており、12月末の任官では、16寮のうち9寮の長官が新任となっています。確かに代わりは確保されているわけですが、長く実務を担当し専門的なスキルを身に着けている人々が失われてしまった情況は、その後しばらく国政の運営へ混乱をもたらしたと思われます。