夷狄とは意思疎通ができたのでしょうか。彼らの話した言語体系などが知りたいです。

東北では、蝦夷の移配や中央への連行、労働なども強要されていました。もともと「蝦夷習俗」なるものは、国家が夷狄性を高めるために必要以上に強調した部分が多いため、充分に言葉は通じたと思われます(アイヌとの相違程度の、言葉の溝はあったものと思われます)。東北地域では、関東以東から移住してきた人々と蝦夷との交流も進んでおり、まったく断絶していたわけではありませんでした。なかには中央へ出仕した人々もおり、陸奥国牡鹿郡の地方豪族、すなわち蝦夷であった道嶋嶋足などは、中央官僚として出世し正四位上近衛中将にまで昇進しています。