期末のレポートでは壬申の乱を題材にしようと思うのですが、その際に思ったのが中臣鎌足の亡くなった時期です。彼は大化改新から壬申の乱までの間、どのように振る舞い亡くなったのでしょうか。

中臣鎌足の後半生については、史料はしっかりしたものが残っていますので、あまり疑問の余地はありません。『日本書紀』にも、『藤氏家伝』にも記載されています。しっかり調べてレポートに書いてください。なお、壬申の乱との関係でいえば、『藤氏家伝』上巻/大織冠伝に、次のような逸話が記載されています。「……天智帝は、群臣を召し、大津宮の浜楼で酒宴を催された。宴も酣となり、みな大変よい気持ちでいたとき、不意に大海人皇子が長槍を取り出し、それで敷板を刺し貫かれた。帝は驚き、憤激して、皇子の命を奪おうとされた。これを鎌足公が強く諌めたので、帝も思い止まられた。大海人皇子は、当初鎌足公の所遇の高いことに不満を覚えていらっしゃったが、このことがあってから、とくに親しく接するよう配慮された。後に壬申の乱の渦中、吉野から東国へ向かわれるときにお嘆きになり、『もし大臣が存命していたなら、私もこのような困難に遭わなかったものを』と仰った。当時の人々は、みな同じように嘆いた。……」(現代語訳:北條)。