川に遺体を流してしまうという話を聞いて、ガンジス川に葬儀として遺体を流す光景を思い浮かべました。何か関係があるのでしょうか。 / 死体を捨てる場所は、当時、暗黙の了解として決まっていたのでしょうか。衛生問題にもなりそうですが。

以前何らかの形で書いたと思うのですが、人間の葬法は、それぞれの地域、自然環境とそれに根ざした文化の相関関係のなかで、まったく異なる様相を持っています。森林では土葬、樹木葬風葬などが盛んで在り、海辺や海上では水葬が多く採用されます。インドではガンジス川を生命の源とする認識があり、死んだ魂の帰る場所とみなされたのでしょう。日本古代においては、例えば大祓祝詞のなかに、罪や穢れを川を通じて海にまで流し、その先にある根国へ送ってしまうという発想が出て来ます。このような心性が反映されたものかどうか、都城の堀河や水路などからは、さまざまなゴミ、動物や人間の遺体が発掘されています。それで水路が詰まってしまうこともあったようなので、衛生的には大いに問題ですね。死体を投棄する場所としては、授業で扱った鳥辺野のほか、蓮台野、宇太野、化野、神楽岡深草山、木幡などが挙げられます。しかし、庶民の場合は鴨河などに投棄したり、路上に放置することも少なくなかったようです。ゆえに、平安京の路地は常に衛生上の問題を抱えていました。平安宮のなかへ、犬が人体の一部を咥えて入ってくる、などといった事態も起きていたようです。