『類聚三代格』の国分寺創建勅の内容に驚きました。仏教に関する詔が出される際には、このような呪詛のようなものが毎回みられるのでしょうか。

必ずしも、そういうわけではありません。このような願文の形式は、「確約的宣誓儀礼」という仏神への誓約儀礼に伴ってみられるもので、飛鳥の段階では、『日本書紀』に幾つか類例がみられます。講義でも扱ったかもしれませんが、乙巳の変直後、飛鳥寺西の広場にある斎槻に天神地祇を勧請し、群臣へ天皇への服属を誓わせた文言にも、類似の言説がみられます。国分寺の塔は須弥山と同じであり、総国分寺たる東大寺の大仏蓮弁にも須弥山が書かれており、これは飛鳥寺西の広場にあった須弥山石にまで遡ると説明したのは、そういう意味でも「同じ」といえるからなのです。すなわち、誓約の保証者・監視者である四天王、諸天を通じて、人心を収攬しようとしているわけです。