孝謙天皇と藤原仲麻呂の対立の原因がよく分かりません。孝謙も藤原氏の光明皇后の娘であり、仲麻呂がいたとしても、聖武や光明の意志である仏教国家を完成させられると思うのですが。

仲麻呂大炊王淳仁天皇舎人親王の息子)を擬制的な子息として、天皇家との一体化を図ってゆきます。また、光明皇太后のコントロール下で活躍していた頃は問題はなかったものの、彼女の死後は仏教統制を図り、東大寺の造営・運営に関わる財源の削減などを進めてきました。僧侶でもない仲麻呂がそうした政策を推進する点に、孝謙は僭越な印象を拭えなかったものと思われます。また孝謙は、淳仁にも次第に嫌悪感を抱いたようで、皇統をめぐる認識の相違があったのではないかといわれています。