天皇は完全な僧侶にはなれないと仰っていましたが、その後に出てくる法皇とはどんなものだったのでしょうか。

称徳天皇は、太上天皇時代に法華寺にて出家し、恵美押勝の乱直後に法体のまま重祚します。天平宝字8年(764)9月20日、そのときの宣命では、『梵網経』にある「国王が王位に坐すときは菩薩の浄戒を受けよ」との文言を引用し、「出家しても政を行ふに豈障るべき物には在らず」と述べています。この神祇信仰の最高司祭にして現御神である天皇が出家しているという事態は、実は極めて異常です。当時の宮廷社会が同様の認識にあったことは、同じ事例が後にも先にも存在しないことから明らかでしょう。院政期に出現する法皇は、あくまで退位後の上皇が出家入道したものであって、そこに至っても原則は変更されていないというべきでしょう。