なぜ天皇は、平安時代からプライベートな空間である内裏へ、政務の場を移してゆくのでしょうか。

桓武天皇は血縁的な弱さを抱えていたために、藤原氏の各家と緊密な姻戚関係を結んでゆきますが、それはある意味で貴族社会の一部をミウチ化し、それによって勢力基盤を確立しようとしたということになります。嵯峨天皇も同じ方策を採り、結果として多くの皇子・皇女を儲けて、それが臣籍降下政策に結びついてゆくのは授業で扱ったとおりです。いわば、政務がミウチとの緊密な関係のなかで議論され、実現されてゆく情況となったわけです。また、嵯峨朝の平城上皇の変は、政務執行の秘密化(宮廷のなかでも、さらにミウチを絞り込まねばならない事態)をさらに促進しました。大雑把な説明になりますが、そうした情況の政治的な表現として、政務の場が公の朝堂院から私の内裏へ移行していったものと考えられます。