「小中華」という考え方ですが、実際の日本では、そうした名に相応しい程度に文化や制度が進んでいたのでしょうか。

当時の政府からすれば、律令都城・貨幣・国史を持つことが、中華的国家の条件であったと思われます。東アジアの「公式見解」としては、もちろん中華王朝は中国王朝のみに限られるわけですが、当時の東アジア諸国は、大なり小なりそのナショナリズムの発露としての中華性を抱え込んでいました。ナショナリズムにおいては、常に公式の基準より自負が重要な意味を持ちます。古代日本も、自分たちのあり方を正当化するために、小中華の論理を便利に利用したのでしょう。